病気と医者への向き合い方の変化(2)

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病気と真摯に向き合うネット上のUC患者

潰瘍性大腸炎は、国の指定難病のなかでもとくに患者数が多いこと、そして20~30代で発症する人が多数だということもあって、ネット上には闘病記や病気に関連する情報を提供するページが大量に存在します。わたしはこれまでネットでUCの情報をあまり熱心に調べたことがなかったので、まずブログやサイトの量の多さには驚きました。じつに多くの人がUCに正面から向き合いながら、薬や手術、暮らし方について主体的かつ具体的にとらえ、日々の生活をポジティブなものにしているのだということに感心させられました。それまで病気についてしっかり考えることをせずに、不調になったときにはその場しのぎの対処をしつつ、己の不幸を嘆くということを繰り返してきた我が身を反省しました。

どちらの術式を選ぶか

さて、ネットの情報にあたっていくと、手術の方法には、IAAとIACAという主に二通りがあるということが分かりました(術式については、大腸摘出手術のこと(2)に詳しく述べています)。そして主治医の説明によると、私の手術はIAAです。

大腸全摘術は、病変を間違いなく除去することと、術後のガンの発生やUC再発の危険性を抑えることが最大の目的です。しかし患者本人としては、これらのことはもちろん重要ではありますが、それ以上の関心事が、術後、日常生活の質をどの程度まで回復、維持できるかということです。具体的にいうと、排便機能をどの程度回復、あるいは温存できるのかということです。その点では、一般的にはIACAのほうが優れているとされています。ただし、この2つの術式のその点での差異は、手術直後に限ったことで、術後時間が経つにつれてあまり変わらなくなるとか、術式による違いよりも個人差のほうが大きいという見方もあって、明確にそうとも言えないところがあります。それに、IACAは術後の発ガン、再燃のリスクが高いという大きな難点があります。しかしそのようなもろもろのことを考慮しても、私としては、IACAを受けたいという結論に至りました。潰瘍性大腸炎で、これまでトイレの問題にはさんざん悩まされてきたことは前に述べましたが、それほどまでに、排便機能の温存という問題は切実なのです。

どこで受けるか

そこで出てきたのが、どこで手術を受けるかという問題です。このまま今の病院で受けるには、予定されている術式が、私が希望しているIACAではなく、IAAであるということがまず引っかかりました。それから、この病院での大腸全摘術の執刀数の実績が、ネット上で探しても明らかになっていないことも気になります。大腸全摘術を経験している潰瘍性大腸炎患者の多くの方が、手術は執刀数ができるだけ多い病院で受けることを勧めています。IAAであれば、兵庫医科大学病院、三重大学医学部附属病院、広島大学病院、IACAなら、横浜市民病院、横浜私立大学附属市民総合医療センター(横浜市大センター病院)が執刀数が多い病院として知られており、そのデータも公表されています。この5つの病院名は、潰瘍性大腸炎の大腸全摘術について語られるときには必ずといっていいほど出てきます。手術経験者の中にはブログなどで、これらの病院以外で受けるべきではないと断言している人もいるほどです。

この時点で、私の考えはIACAを横浜のいずれかの病院で受けるという方向に固まりつつありました。そうなると、転院の手配をどのように、どのタイミングで進めればいいかが問題です。T病院は、大腸全摘術についての執刀数実績は(本当に実績が少ないのか、データが公表されていないのかは分かりませんが)少ないとはいえ、日本で最もよく知られた大学病院のひとつであり、全般的にはレベルの高い医療を提供しているとされています。また大腸ガンの手術に関しては、日本でもトップクラスの名医が在籍しているなど、かなりの実績を誇ります。なので、私の手術に向けた検査も相当綿密にやっていることは間違いありませんので、この入院中に受けている検査の結果は待ちたいと思います。

結局自分の中で立てた方針としてはこうです。術式はIACAで横浜市民病院かセンター病院で受ける方向で考えます。そして今受けている検査の結果が一通り出ていよいよ手術となった段階で、セカンドオピニオン、あるいは転院を求める相談を主治医にしてみることにします。

治療とは自分自身で行うこと

インフォームドコンセント、セカンドオピニオンなどの言葉が一般的になって久しいですが、今、手術を目前に控えたこの状況になってみると、これらの言葉の意味することが、リアルに理解できます。患者は、医者が最良の医療を「施してくれる」ことを期待しながら、その医者の言いつけを守る。かつて、病院で診てもらうということは、そういうことを意味していましたし、以前の私はそう思っていました。しかし、これだけあらゆる情報に触れられるようになった今、そんな時代は過ぎ去ったのだと実感します。医療行為そのものは医者に頼むしかありません。しかし治療というのは本質的に、自分以外の誰かに施されるものではなく、自分自身で可能な限り調べ、考え、選択して実践していくことです。追い込まれるようにして、いまさらながら病気についてあれこれ調べるようになったわけですが、そこで得られた情報によって気付かされた最も重要なことは、そのことでした。